憧れの7段飾り

私が小学生だったころのひな人形は、七段飾りが出始めで私の家では人形ケースに入った、それでも五人囃子までついたものでした。

でも、私は、二女でもあるため自分のおひな様がなく、七段飾りのおひな様に憧れていました。

一度、従妹の家でのひな祭りに招待され祖母が縫ってくれた絣の着物を着て参加しましたが、従妹は振袖七段飾りのおひな様となんだか差をつけられたような気がしたのを覚えています。

親達がどう思ったのかわかりませんが、それ以来従妹の家でのひな祭りはなくなりました。

翌年からのひな祭りは、祖母と一緒におひな様のためのお供えのお餅を作りをしました。たくさん作ってご近所にも届けていました。

今は、祖母も亡くなりお供えのお餅を作ることはなくなりましたが、人形ケースに入ったおひな様は五十年たった今も自宅にあり娘が大切にしてくれています。

ひな壇の最下段に座っていたのは・・・

母から聞いた話です。私が産まれて間もない頃、両親はひな人形を買いに行ったそうです。当時マンション住まいだったので、シンプルにお内裏様とお雛様だけの平飾りにしようと行く前に二人で話し合っていたそうなんですが・・・。

人形屋さんに着き、並んでいる色々なお雛様をあっち見、こっち見した父が「これにしよう!」と指差したのは、それはそれは立派な七段飾りだったのです(汗)

いざ立派なお雛様を見ると、娘のためにより盛大なものを選びたくなったんでしょうね(苦笑)優しい親心を感じます☆

ところで実家には、ひな壇の最下段に他の雛人形と並んで飾られている(座らされている?)赤ちゃんの写真があります。赤ちゃんの頃の私です。

もちろんそんなことをされていたことは覚えていませんし、赤ちゃんの私もどこに自分が座っているのかわかっていなかったと思います(苦笑)両親が遊んでいたんですね。いや遊ばれていたのかな?

当日を待つ楽しみ♪ひしもち&ひなあられが早く食べたい!

もうすぐ3月3日の桃の節句の雛祭りですね。
雛祭りといえば私が幼少のころにも母がお雛さまの飾り付けをしてくれました。

小学生のころまでは2dkの狭いアパートに住んでいたのですが、祖母が奮発して買ってくれた7段飾りのお雛様が大好きで、3月3日が近付くと母に毎日、毎日「いつお雛様出すの?」としつこくせがんでいたことを思い出します。

もちろん、雛人形もかわいらしくてきれいで好きだったのですが、特に好きだったのは雛段の一番下の段の小道具たちでした。
嫁入りお道具のかごやら、タンス、お重などをよくつついては母におこられていました。

ぼんぼりは、当日だけ点灯して良いことになっており、ひしもちやひなあられも一緒に飾り付けしていたのですが、それも(早く食べたいな~)と思いながらひな人形を眺めつつ3月3日まで、わくわくどきどきしながら過ごすのでした。

ひな祭りケーキのおまけの笛が

ひな祭りの時期、小学生の私は母親がスーパーで買ってくるひなあられをとても楽しみにしていました。色とりどりのあられが印刷されているパッケージがとても綺麗で、子供心に魅力的だったのです。

特にチョコレートコーティングされているあられが大好きで、袋の中から探し出し、兄と競って奪い合って食べました(笑)

食べ物の話ばかりですが、当時近所のケーキ屋さんで売られていた、お内裏様とお雛様が鎮座ましましている生クリームのケーキも大好きでした。

そのケーキ屋さんはケーキ以外に笛のおまけがついていたのですが、ある年のひな祭り、店員さんが笛をくれませんでした。欲しいなと思いながら、言い出せず、家に帰ってから母に「笛欲しかった」と言うと「そういうことはその場で言いなさい」と怒られました。

なるほどその場で言えばいいのかと、翌年のひな祭りでケーキを買ってもらったとき、はっきりと大きな声で「笛欲しい」と言いました、が、母親に「そんなこと言うもんじゃありません」と言われ、またその年も笛を入手できず・・・(苦笑)

ずいぶん大きくなって、親とケーキを買いに行くことも、笛なんか特に欲しくもないと思うような年頃になったある年のひな祭り。

母親が「ほら笛ついてたで」とケーキのおまけの笛をもらってくれました。もういらないよー(苦笑)

ひな祭りと父の背中

桃の節句が近付くと思いだされるのは父の背中です。

我が家のひな祭りは、毎年大仕事でした。六畳の和室に母の内裏雛、姉のケース入りお雛様に市松人形、そして私の段飾り。贈ってくれたのは母方の祖父ですが、所狭しと華やかに飾るのは父の仕事でした。

小さな頃からそれを手伝うのが大好きで、段飾りの並び順は大人になった今でもしっかり覚えています。
いつもは短気ですぐに怒る父でしたが、ひな人形を飾りながら、どんなに眺めていても失敗しても怒られた覚えがありません。今思っても、毎年幸せな時間でした。

姉も私も結婚して家を出ると全てを出すことはなくなったようです。現在の住まいは賃貸で狭いので、段飾りを持ってくるスペースがありません。

私には息子しかいないので子供用に新たなひな人形を買うこともなかったのですが、数年前、手のひら大の内裏雛を自分用に購入しました。紙粘土と和紙でできた小さなかわいらしいお雛様です。

TV台に文庫本サイズの毛氈を敷き、金屏風とお雛様を並べます。目の前にあるのは自分で買った小さなお雛様ですが、その向こうに透かして見るのは、私が物心つく前に亡くなった祖父と、今でも何かにつけて気遣ってくれる父の愛です。

20体のひな人形

ひな祭りがくる度に思い出すおばあちゃんが語るお母さんの話。

ひな祭りというと今年82歳になるおばあちゃんの話を思い出す。おばあちゃんがお母さんだった時、つまり、私のお母さんが子どもだった時代は、女の子の初めてのひな祭りの日には親戚中がお祝いとして雛人形を送るのが普通だったそう。

うちのおばあちゃんは8人兄弟。おじいちゃんは10人兄弟。そんなわけだから、お母さんの親戚に当たる人はそれはそれは大人数で、お母さんの初めてのひな祭りにはおおよそ20体程の雛人形が送られてきたんだって。

しかも、そのほとんどはお雛様。お内裏様はわずか2体しかいなかったんだって。 おばあちゃんはお母さんの為にひな壇をこしらえてあげるのだけれど、20体もいればとてもとても壇には収まりきらない。

そこでお母さんはお雛様を自分の好きな順に、上から並べていたんだって。お雛様はたくさんいても一体一体の顔は全て違うそうで、その中の一番のお気に入りの一体を一番上に飾り、夜眠る時は一緒に抱いて寝ていたんだとか。

それを語るおばあちゃんの表情がとても優しくて、温かくて、忘れられず、なぜか今でもひな祭りがくる度にこの話を思い出す。

おまんじゅう顔のお雛様♪

現在1歳7ヶ月になる娘のひな人形選びがとても思い出深いです。 去年の今頃、初めてのひな祭りに向けて張り切ってひな人形を選んでいました。 カタログを見たり、大型の子供用品店に行ったり・・・。 家が集合住宅なのでお雛さまとお内裏さまだけが居る、小型のひな人形を中心に探していました。

最初は純和風で顔のきれいなものをと思っていたのですが、なかなかピンとくるものがありませんでした。 そんな時、デパートの特別展示場でもひな人形を売っているというので行ってみることにしました。 デパートというと豪華な物凄いひな人形ばかりで、見ても仕方ないかなと思っていたのですが、小さなものもちゃんと売っていました。

そんな中でもひときわ小さい、私の両手に乗るくらいの陶器製のひな人形が目に飛び込んできました。 まんまるなおまんじゅうのようなフォルムに、可愛らしい顔立ちのお雛さまとお内裏さま。

何だか娘に似ていて、ひと目で気に入ってしまい即購入。 本当に小さいものだったので、値段も数千円でしたが、一番気に入りました。 こういう物は本当に出会いがあるんだなぁと、一年経ってまたしみじみと思い出します。

オルゴールと歌った思い出

私の雛人形の思い出は、さかのぼること30年前の7歳の時になります。
当時まだ雛人形を持ってなかった私に、叔父が立派な8段飾りの雛人形を買ってくれました。

8段飾りを間近で見るのも初めてで、小さいながらもその人形達の顔のきれいさに見とれてしまいました。

箱には一つ一つ丁寧に包まれた人形が入っていて、それを毎年母と一緒に出すのが恒例で飾り終えると必ず雛人形の前で写真をとり、オルゴールをならして歌を歌う私。
それから兄2人を呼んでみんなでひなあられを食べました。

そしてその写真を写真たてにいれて、次の年の雛人形をかざるときに見ては、大きくなってねと母がいうのでした。

今思うとそうやって母と毎年一緒に雛人形を出すことや、兄弟三人であられを食べたことが本当にいい思い出になっています。
私も娘を授かることができて、今は娘の雛人形と一緒に私の雛人形も飾りたいなと思っています。

歴史ある「土人形」のお雛様

私の娘のひな人形は、二組あります。
一つは、三段飾りのおひな様です。おひな様、お内裏様、三人官女までです。その代わり、お人形一つ一つが大きくて飾り易いものです。

娘が三才頃から私と二人で飾り付けをしました。小さな手で、大きなおひな様を壊さないようにそっと持ち飾ってくれていましたが、初めて飾ったときお内裏様の首を取ってしまいました。

驚いた娘は、大泣きをし私は怒るわけにもいかず二人の内緒にしようと約束をしました。娘は幼かったので翌年にはすっかり忘れていてまた大泣きするのですが、そのたびに二人だけの約束をしたものです。

もう一つは、土人形のおひな様です。これは、私の嫁ぎ先に代々伝わっているおひな様で、何十年前からあるのかさえもわかりません。

ただ、出してあげないとおひな様が台所の隅で泣いているものだ。と私の住んでいる地域では言うのでこれも娘のものとして、三段飾りのおひな様の隣に飾っていました。

何十年かぶりの女の子だった娘のために出しましたが、雛壇が無くなっていて段ボールや箱を利用して即席雛壇を作り何とか対処して恰好をつけていました。

昔のひな人形は、今のひな人形と違いお内裏様がたくさんいて、甲冑を着て戦うお嫁さんや高砂、大黒様や恵比須様やお稲荷さんなどもいて飾り方もぜんぜん違うもので飾ることは結構大変なものでした。

そして土人形なだけに冷たいんです。娘と二人で手を温めあいながらも楽しく飾ったものです。