意外な人まで号泣!泣けないのが私の卒業式の思い出

中高一貫校に通っていたため、中学校の卒業式は何の感慨もありませんでした。全員が同じ高校に進むのに、何が卒業式だ、くらいの感じでした。でもそれだけに、高校を卒業するときは感慨もひとしお。

6年間、友人によっては12年間も一緒だった友人たちが、これからは別々の道を進むと思うと何とも不思議な感じでした。

卒業式当日は、泣いている人が続出。普段不良ぶっている男の子たちまで廊下にうずくまって泣いていたのを覚えています。

私はというと、本当に本当に胸がいっぱいだったのですが、先に皆に泣かれてしまって、涙がこぼれることはありませんでした。

卒業式=涙のイメージがあっただけに、泣けなくて残念!卒業後も同窓会などでは必ず「泣かなかったよねー」なんて言われて、妙に悔しい思いをしました。

それでも今は、「卒業式に泣けなかった」というのが良い思い出として、私の中に残っています。

卒園式の心温まる笑えるエピソード

子供の保育園の卒園式の思い出です。今思い出しても懐かしく、そしてちょっぴりおかしいエピソード。 「保育園」というのは当然ながら、幼稚園とは違って、お父さんもお母さんも仕事を持っている人が大半です。

朝早くから預けられて夜は日が暮れた後にお迎えなんて当たり前の世界。だから毎日バタバタと時間との闘いで送迎するお母さん達にも余裕がありません。ノーメイクで髪の毛はぼさぼさ、慌ただしく子供を預けた後は、通勤電車の中でとりあえずメイクを済ませる

。部屋着のまま保育園に行きその後通勤の車を運転しながら着替える、という強者ママも。 そんな毎日で顔を合わせているママ達が、めいっぱいお洒落をしてくる唯一の場が卒園式なのです。

この日のために揃えたスーツとコサージュ、パンプス、バッグ(もちろん一ヶ月後の小学校の入学式に遣い回せるように選びますが!)。ここぞとばかりに時間をかけたフルメイクと、手の込んだヘアスタイル。

式当日の朝、会場に入って席につき周りを見回すと、いつもおしゃべりしている仲良しママさん達がどこか別人のようです(笑)。

あー、このママはアイライン入れたらこんなに綺麗な目元になるのね、とか、いつもは野暮ったい会社の制服を着てたから分からなかったけど、このママはウエストも脚も細くてすごくスタイル良かったんだ!!!など、大発見。驚きと微笑ましさとで頬がゆるみっぱなしでした。

でも式の最後には、ほとんどのママのお顔が、メイクの甲斐無く涙でボロボロ…。そんなシーンがビデオに収められていますが、何とも心温まる思い出なのです。

子どもの成長に感動

子供の幼稚園の卒園式の思い出を書きたいと思います。 今、小学五年生の長女の卒園式の思い出ですが、もう5年前になります。

長女は、三年幼稚園に通ってました。年少の時、身長も学年で一番高く。目だっていました。 発表会の時は背が高いだけでも目立つのに、礼も出来ないほど緊張し、踊りもロボットのような動きで8年前の事なのに 鮮明に覚えています。

もちろん本人も覚えています。それが、少しずつ恥ずかしがりを克服していき、年中、年長の発表会では劇ではナレーターしたり、ちゃんと礼も出来。卒園式では、クラスの代表で記念品贈呈に選ばれ、みんなの前に立ち、堂々と記念品を受け取れました。

入園したころは礼も出来ない位、緊張していた娘が三年後の卒園式ではクラスの代表に選ばれ、堂々と卒園式を飾ってくれました。もちろん、長女は親より卒園式で号泣していました。

それほど思い出いっぱいの三年間だったのだと思います。 小学四年生のときは運動会では応援団に入ったり、年少の時は、どうなるんだろう??と冷や冷やしていましたが、今は、幼稚園の年少の時があったから、ここまで成長出来たんだ。

と思っています。 そんな長女も四月からは6年生になります。そして、次は卒業式です。幼稚園の三年間もあっという間でしたが、小学校も6年間も長いようで短いです。どんな卒業式になるか・・楽しみです。そして、子供の日々の成長に感謝します。

卒業式の記念写真に唖然!

長男の幼稚園の卒園式。入学式にも使えるし、これから何度も着るフォーマルスーツだからいいものを買おうと思い、jun ashidaでフォーマルスーツ、ウンガロの皮のバッグ、フェラガモでパンプスを購入。

そして、母が使っていたパールのネックレスを合わせました。今後何かあるたびにこのセットで使えるから、出費は大きかったけど、トータルで考えたら安かったなと、大満足していました。

ところが、次男の入園式までは計画通りだったのですが、卒園式になる頃、スーツがきつくなっていました。

そして、長男の小学校卒業式の日、明らかにきつくなった事が否めない状態にもかかわらず、お腹を引っ込めて無理やり体を押し込み参加しました。

なんとかなったとその時は思ったのですが、失敗したことに気がつたのは、卒業式の写真を皆で交換した時です。

自分で撮った写真は、正面から写してあるせいか、それほど感じなかったのですが、友達が撮影した横からの自分自身の姿に呆然としました。

きついのレベルを超えて、形は崩れてしまい、いくらいいスーツを着ても、非常にみっともないと痛感しました。

痩せる予定もないので、自分の体形に合った分だけサイズアップしたミシェルカレンのワンピースにボレロというタイプにしました。

ワンピースなら、もし万が一また太っても、着れるという目論見ありでの選択でした。そして、デザインが非常にシンプルだったので、目立ちすぎないように、でも華やかさのあるシルバーとパールのコサージュを買い足しました。

スーツは太ってしまったという理由で失敗でしたが、小物に関しては、いいものはずっと良く、流行り廃りもないので、長男の大学の入学式までずっと使う事が出来ました。 そして、もう無理をしても入らないのに高価であったがためにスーツが捨てられず、いまだにタンスの肥やしになっています。

卒業式で感動した大切な思い出

私は今でこそ、女性らしいとやっと言われるようになったのですが、小学生、中学生の頃は女の子のお友達より男の子のお友達の方が多く、一緒にいるのも遊んだりするのも男の子との方が多かったのです。

自分の性格的に活発で走り回ることが好きだったので、当時は男子も私をほぼ男友達と同等の扱いで、そこで特に恋が芽生えることもなく、ただただ普通のお友達としてつるんでいました。失礼なことも多少傷つくようなことも言い合う仲で、笑ってふざけ合って、そんな中で私は涙を見せたりなんかしたら絶対に馬鹿にされてからかわれると思い、彼らの前で意地でも泣くもんかと卒業式を迎えました。

卒業式といえば、後輩からの送辞や歌そして何よりずっとお世話になってきた担任、先生方からのありがたい言葉、私は当時の担任と今でもたまに連絡を取るくらいの仲で、そんな担任からの言葉に涙を流さずにはいられずに、涙を溢れさせてしまいました。

ハッとすぐに隠そうとしたら、隣の席から馬鹿にしてからかってくると思っていた男子がスッとハンカチを黙って差し出してくれました。

ハンカチを持っていたことに驚くようなそんな男友達がその行動をとったことに驚き、そして中学生活最初で最後の女子扱いにお互いが歯痒くなったあの数秒間を今でも卒業式で思い浮かぶ一つの大切な思い出にしています。

結婚を祝福してくれた最高の卒業式

私が専門学校を卒業するときのことです。 実は私は同じ学校の講師とお付き合いをしており、卒業とともに籍を入れることになっていました。

もちろん、お付き合いをしていることはよほど親しい同級生たち以外には内緒でした。 実際はほとんどの生徒が知っていたと思いますが、みんな知らない素振りをしていてくれたのが嬉しかったです。

無事に卒業式を終えた後、ようやく彼のクラスの生徒さんや自分のクラスメイト達に自分たちが結婚すると正式に報告をすることができたのですが、そのとき、みんなが、多少わざとらしくはありながらも「えーっ!?」と笑顔で驚いてくれ、いっぱいお祝いを言ってくれたのは本当に良い思い出となりました。

残念ながらその結婚はうまくいきませんでしたが、それでも、周囲の方たちの思いやりや親切は、卒業式の思い出と共に私の心にしっかりとのこっています。

先生を好きになった青春時代の思い出

当時高校生だったは私は初めて高校教師を好きになりました。 最初は友達がその先生にあこがれてかっこいいから一緒に先生の部活みにいくのついて来てくれる?といわれたので 見に行ってみました。

そしたら、初めてみる先生で、あ、こんな先生いたんだと思いました。 背は190cm近くあり、バスケットの顧問。 なにより、芸能人みたいな端整な顔立ちでとてもかっこよかったです。

すぐに私も先生のとりこになり友達と一緒に見に行くことが毎日の楽しみになりました。 そしてそんなことをしていた先生が私たちに気づき、徐々に仲がよくなり、帰りは駅まで先生の車に乗せてもらうようになっていました。

しかし、先生が興味をもってくれたのは私のほうでした。徐々にそれに気づいた友達は私から距離を置くようになり 一緒に見る機会はほとんどなくなりました。 その間、私は先生にお弁当を作ったりアピールをしていましたが、先生ということで近づいてきてはくれず卒業式まで きてしまいました。

そして、卒業式もおわりみんなが学校の外で写真をとっているときに、これで私も先生と最後になるんだと 初めて先生と写真をとりました。

そのときに、先生から色々ありがとな。と言われて泣いてしまい、今でもその写真をみると自分の泣き顔がひどいです。 でも、今になってみれば、とてもいい思い出です。

一番輝いていた最高の高校時代

私は地元では大きい仏教系の私立高校を卒業しました。もう、20年も前の話ですが、私の高校生活は本当に楽しく、充実したものでした。

私はその高校の中でも、商業科で、3年間クラス替えはなく、みんながとても団結し、男女の壁もない、仲の良いクラスでした。担任の先生は仏教の先生で、お宅もお寺で、住職もされているとても温和な男の先生で、あの先生を嫌う人なんていなかったんじゃないでしょうか。

いわゆる「ガキ大将」的な生徒の事も、「ちょっとやんちゃな子」と表現するような先生。 そんなクラスで心もケアしてもらっていたんでしょうか、私は本当に高校時代は幸せで、卒業式が終盤を迎えるころ、いろいろな思い出がこみあげてきて、涙が止まらなくなっていました。

周りを見渡すと、クラスの女の子たちはほとんど泣いていたように思います。 でも、式が終わり、教室に戻るころ、みんな、泣きながら笑っていたのを昨日のことのように思い出します。

それぞれに、卒業アルバムのメッセージ欄に寄せ書きをし、みんなや先生と思い出の最後の写真をたくさん撮り、いつまでもいつまでも教室を後にすることができませんでした。

クラスのみんなと涙のお別れをした後、正門で私を待っていたのは、所属していた演劇部の後輩たち!! ダッシュで来たかと思ったら、ぶつかってきましたよ^^; 部の卒業生の伝統?があって、制服はセーラー服だったのですが、スカーフを後輩に譲ること。

私もかわいい後輩に恵まれ、スカーフを欲しがってくれる子が(女子ですよ)いてくれて、迷わずあげました。 そこでもみんなのえがおに囲まれ、たくさんの写真撮影。

今でも大事にしまってあって、写真を見ると顔がほころんでしまいます。 私の大切な高校時代。今でも付き合いのある子がたくさんいて、本当に幸せです!

思えばあの日が一番輝いていたんじゃないかなぁ・・・。

がんばったのに逆効果!後悔した卒業式の思い出

自分の専門学校の卒業式の思い出です。私が卒業した学校の卒業式は振袖に袴で出席する人が多かったです。私は母親に振袖を買ってもらっていたため袴だけレンタルをしました。

振袖も赤と黒の2色使いで気に入っていましたし、袴もからし色にして目立つようにしました。問題は髪型です。

きっと皆、髪をアップにして豪華にしてくるだろうと思い、じゃあ私は逆にシンプルにして目立ってやろうと意気込み、ボブに髪をカットし真っ黒に染めました。当日もわざわざ美容院まで行き、毛先が内側になるようにブローしてもらい大きな髪飾りを一つサイドにつけていきました。

母親は「あんた…美容院にまでいってそれ…」と一言。私はお構いなく、きっと目立つだろうなって思いながら会場へ。

するとどうでしょう…まわりはとても豪華にアップしてきているではありませんか…。

皆、とてもきらびやかでした。一方、私は目立つこともなく、友達からも何か言われるわけでもなく、ただただ地味なだけでした。

一生に一度の袴姿。もっと豪華に出来れは良かったなと今でも後悔しています。もちろん、卒業式自体は盛り上がりましたよ!

卒業旅行で感動した思い出

高校3年の2月。進路もみんな無事に決まり、長野県の安曇野に卒業旅行に行くことになりました。

そのことを生徒指導の先生に話したら「安曇野かー!あそこはわさびが美味しいんだよなぁ。チューブのわさびとすりおろしたわさびは全然違うからなぁ」と言うので「それって、お土産買って来いってことですか?」と笑いながら聞きました。

「俺はそんなことは言ってないぞ。ただわさびは美味いんだ。本当にな。好物なんだ」と。 お土産に買ってきて、とは言われていないですが、買ってきてということだろうね、と友達と笑いました。

卒業旅行でわさび園に行った時に、みんな500円ずつ出して3000円の天然わさびを買いました。先生にあげるんです、と言ったらお土産屋さんのおばさんが「本当はこれはもっと高いけど、あなた達のためにやすくしてあげるね」ととっても立派なわさびをえらんでくださいました。

そして迎えた卒業式。式が終わった後、後輩から花束やプレゼントをもらっていると、先生を見つけました。 友達全員で集まってその先生に「卒業旅行のお土産でーす!」と渡したら、満面の笑みで「お土産買ってこいなんて言ってないのになぁ。

おっ、すごくいいわさびじゃないか」と喜んでくれました。 3年間お世話になった先生にお礼もでき、お土産屋さんのおばさんの優しさにも感動しました。 今でも「先生、元気かな」と時々思い出します。